昭和51年2月4日 朝の御理解 【入力者:岡村和一郎】
MRAK:特になし
御理解第2節「先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない。」
「みてることがない」と言われる神徳。それは、「信心すれば誰でも受けることができる」。果たして、合楽でこれだけたくさんの人が、ご参拝のおかげを頂き、信心のけいこをさせて頂いておるが、どういう人達が、あー、ご神徳に触れてっておるであろうか。
皆さん、今日の私の話を聞いて下さって、「はああ、私はご神徳に触れていっておるな」と。「私は参るばっかりで、一つもご神徳に触れよらんばい」というところを、はっきりしてもろうて頂きたいと思います。
第一ね、ご神徳を受ける前提とでも申しましょうか、どういう難儀な中にあっても、ね、もちっと苦労がしてみたいという心が起きてまいります。これはご神徳を受ける前提です。どうしたなら、この難儀から脱出できるだろうか、逃れることができるだろうかだけで終わる。
おかげは受けても、お徳につながる入り口が、(から?)間違っとる。そりゃ誰でもあるですよ、苦しい時は苦しいです。ね。けれども有り難いというものが伴うてくるです。だからその有り難いものを、もっと、強いものにしていく楽しみが生まれてくるです。
昨日は梅の実会でしたが、えー、次々と参拝をしてみえられる方達も一緒にお話を、まあ聞いて頂いたことでございましたけれども。その中に、うーん、(?)話を聞かせて頂きながら、その合間合間に、私の話を用いて頂いたんですけども、今のその、もちっと苦労がしてみたいという話をしたことです。
これは私の、おー、まだ少年時代でした。三井教会へ参拝さして頂きまして、ご祈念も(お参り?)さして来られましたら、そん時は私が一人でした。だから、えー、2代の荒巻久人先生ですね、今はあの、お道の新聞を読んで下さいました。
それが、今でもありありと心に残っております。というのは、えー、(胃炎?)の病気で、もう医者も助からんというとこに、信心のお導きを頂いて、全快のおかげを頂いた。そこで、えー、親戚から(?)「ない命を頂いたのだし、その命をもって今度は人が助かることのために、教会修行に入らないか」ということで、(お勧め?)を受けて、教会修行さして頂くようになった。そして、布教に(まあ?)出られたわけですけれども、なかなか道が開けない。
その難儀魂魄な様子を見られた兄弟、いわゆる本家の兄さんがある時参ってみえて、「金光様のご信心を、これほどのおかげを頂いたのだから、やめろとは言わない。けれども、この難儀の状態を、まあ兄弟としてじっと見てはおられない。里の方に帰れば、山もあれば畑もある。あんたのために、小さい家の一つも建ててやろうと思う。それで、一時引き揚げて、そしてまた、改めて布教に出たらどうか」というて、まあ勧めて下さった。
その時に、その先生が兄さんに対して言われたことに、「ねえ兄さん、あなた方から見るなら、もうほんとに難儀魂魄で見ておられんこともあろうけれども、この頃私は、ね、もちっと苦労がしてみたいと思います」という。「あんたそこまでも腹決心決めとるならば、何を言おうか」というて、ま、帰られたということです。ね。
それから、日ならずして、人が助かるようになり、たいへんごひれいを受けられる教会になられたという、記事が、記事を読んで下さった。
これは私、少年時代でしたけれども、もうこの話はもう忘れられません。信心っちゃ不思議なことじゃなあ。とにかくもちっと苦労がしてみたいというような心が、ほんとにできるもんだろうかと、私は子供心にそう思うたことがございます。
ところが、確かに信心をさせて頂いて、いわゆる信心を頂こう、という気になったら、確かにそういう心が起こってまいります。
昨日、ちょうどそん半ばに、善導寺の原さんが、いわゆる2度目のお参りをなさいました。そして昨日の朝の御理解、「原さん、あなたもなんか一言」と言ったら、(まあ?)今朝の朝の、昨日の朝の御理解をまとめておりますから、それを聞いて( ? )というて、読まれました。私はもう驚きました。ほんとに(まなー?)それだけまとめられたなと、それも自分の信心を語っておられます。
どういうことを中に言っておられるかというと、ね、息子の病気の時に、もう助からないという時に、親先生のお取次を頂いた時に、「原さん、(あなた?)達夫婦が、ね、一生お道の信心を忘れません、一生お日参りは続けます、という信心がでけたら、そのことをお取次させて頂いて、(ショウイチロウ?)さんの病気のことはお願する」と、親先生が言われた、まああの時に、「一生お参りするどころじゃありません。助けてさえ下さるならば」と、親先生に申し上げたことを、ようもようもあの時にお約束をしておったと、そのことが一番有り難く思われるということを、そん中に書いておられました。
私はもうほんとに、もうほんとに、あの、手を、手をうって、あの、おー、なんか、なんか知らんけども、(なんか言いよる?)気がしました。ようもようも、あの時に、一生、私どもが、ね、この息子の病気を助けて頂くなら、一生このご恩を忘れませんだけではなくて、一生お参りを続けますということを、ようもようも、お約束をさせて頂いておったということが有り難い、と書いておられました。
そして、んなら、もう何十年間、それが一家中で、しかも続いておられるということです。ほんとに恐れ入りました。
その会が終わって、また私ここへ着かせて頂きましたら、次々お取次を願う方があります。中に、また原さんもここへ出てみえられました。「実は先生、今日はもう、明日のお初穂がないと思うとりました。ところが、朝から湧いてくるこの喜びというものが、どうにもしようがないほどの喜びが湧いてくる。こういう喜びが湧いてくる時に、神様が不自由でもさせなさるようなことはないと思うとるけれども、明日のお初穂のことがどうにもしようがない」。別に働きよりなさるわけじゃないしね。
ところが、もう思いもかけない、まあ、少々まとまったお金をある子供がくれまして、確かに、神様は確かなもんだなあと。この喜びがある限り、神様が不自由どもさせなさることはないと、いわば確信しておられるところです。必要なものが必要に応じて頂けるということです。
もうまさしく、私、あの世にも持って行けれるご神徳を受けておられる、受けて行かれておる姿です。ね。こういう喜びが湧いてくるのにです、神様がおかげ下さらんはずはない、信じきっておられます。そして、改めて、それこそそのお礼に参拝してみえとったわけでございます。
これも昨日、久富繁雄さんがここを下がってから、あちらで、昨日、話してございました。毎年決まって、浮羽郡のほうから、ほうれん草を作る頃になると、必ずその仲買いの方が見えて、いつも買いに見える。今年は値がよくて、一反15万ぐらいで、えー、まあ売買がでけておる。
今年もその方が見えて、えー、畑を実際に見に行かれた。ところが、うーん、隣のは、は、見事にでき、その何も支障がなかったんですけれども、自分とこの田んぼの、そのほうれん草には、白い斑のようなものが点々と、こう付いておるのに気づかれた。もちろん仲買いがそれに気づかんはずがない。
だからこれは、久富さん、あのー値段も申しあげられんぐらいだから、いうなら15万じゃ買われんというわけです。だから、あー、また来年一つ( ? )して下さい、(?)ということですね。そりゃあんまよかとこじゃありません。
で、そん時に、なら、うちんとは10万でようございますけんと言おうかと思うたけども、いやいや、こりゃ神様のご都合に違いないと思うて、まあ無理も言わずに、「ならまた買うて下さい」というて、帰られた。
それから、明くる日から、あの、寒が続いたわけです。どっかその、あの寒が続いた間に、その斑がきれーいに取れてしまったそうです。2、3日前から、そのほうれん草を出しておられるそうですが、あー、ちょうど、ほうれん、えー、小さいトラックで7台はあろうというです。1台が8万円になるそうです。いわゆる手数料を引いても7万いくらになるそうです。( ? )例えば、7万の7台ちゅいうと、七七四十九、49万円がとあるわけです。
それが、例えば見事に、なら(ほ?)が入ってなかったら、そん時、いわば15万円で、いわば( ? )内だっただろうと、こう。ほんとに神様のご都合にはいつものことながら恐れ入りますと。
けれども、私がこれほど有り難いと思うておる通りに、ね、子供や嫁達も有り難う思うてくれるというのですけれども、もう私どんが働きよるけんでというふうに、こう言いますと。もう嫁御はまた( ? )さばけてもおるし働きもするが、もう私が( ? )食わしたけんでと言うけども、あんたが神様ばのっち言っちから、言うともう、てんで追えんごつなって働きます、という話は、昨日しよいなさいました。
ご神徳を受けてまいりますとね、もう自然がいつーも、その働きの中に、ほんとに自然がバックだなと思われるようなおかげが、だんだん、それも一遍二編、ただお繰り合わせを頂いたようで、そういうことがずーっと続くようになります。これは、もうご神徳を受けていっておる証拠です。ね。
いかに、その(ふがいっておる?)ね、白うなっとったということがおかげじゃということが分かるでしょう。ほんで、もう隣の人が、「ほんとしもうた」と( ? )って言ってから、まあ、悔やみなさるということでございます。
昨日、私は、えー、梅の実会でその話もさして頂いた。それはもちろんおかげ話です、いわば今日は、ね、ご神徳を誰でも信心すれば受けることができる。今私が、あー、3つのお話をさしてもらいましたよね。少年時代に聞いたお話、それから、原さんのお話、久富繁雄さんの話。そういう話を聞きながら、んなら、たくさんこうやって、えーお話を聞いて下さっとる方の中に、はあ、私はご神徳を受けていきよるなあと思える方があるでしょう。ありますよ、合楽には。
「そんくらいの( ? )なら、私も(そうやって?)頂きよる」という人がありますよ。もうすでに、あなたはご神徳を受けていっておられるのです。もうそれだけは、あの世に必ず持って行かれるのです。子孫にも残るのです。んん。
だから、例えば、朝参りなら朝参りがもう楽しゅうして楽しゅうして、有り難うして有り難うして、というものになってくるのです。ね。
皆さん、信心すれば誰でもが受けることができると仰せられる、いわば信心です。ね。信心すれば神徳は誰でも受けることができる。皆さん、おかげを頂くよりもご神徳を受けなきゃいけんです。ね。
そういう話を致しておりましたら、横から若先生が、「親先生、あなたのお話は、そんーん、例えば、修行生のそのお話でも、最後のその、おかげになったというところの話をなさらんほうがよくはないですか」という意味のことを言うんです。ね。そのほうが余韻があるというわけです。
それで私は昨日、ちょうど西日本新聞に出ておった小さい記事を読んでおったことを話ました。これは信心のない人。ね。
ある勤めに出られる方が、なんか朝早くから目が覚めて、仕方がないから早く起きて、それから表を散歩しておられた。ところが、自分ところの前、坂道になっておるところを、老夫婦の人がお野菜をリアカーいっぱい積んで、まあ市場に出しておられるのであろう。まあ、おじいさんが引いて、おばあさんがちょっと後押しおられるのを見て、自分もその後押しをして加勢をした、というのです。
ところが、明くる朝、( ? )お玄関のところに、たくさんのお野菜が置いてあった。家内がたまがって「誰が持って来たじゃろうか」と、言うてあたまがっとったけれども、私はそのことには全然触れずに話さなかったという記事が出ておりました。ね。
あるいは、私、私なら、昨日(朝売りが?)、あのー、おじさんとおばさんのリアカーを押して加勢したけんで、そのお礼に( ? )持って来てやっとんなさっとじゃろうと、私なら言うでしょう。けども、そのことは家内には触れなかった、言わなかった
なるほど、余韻があって奥ゆきがあるような感じですけれども、信心はそういうことではいけんのだと、私は昨日、若先生に申しました。
「最近、親先生(の?)話は、何とはなしに、そういうふうに話さなければならないとか、そういう話はよい話じゃ」というふうに言われるのです。信心のところだけを語って、おかげのところを話したらいけんと、それのほうが余韻があって良い。これはご神徳を受けきらないタイプです。
そういう話をする人ほど、もう偉い先生でも有名な先生でも、必ずお徳を受けてない先生です。自分の教会では人が助かっていない先生ばっかりです。ところが、今の金光教では、そういう話も良い話、そういう話をしなければならんとさえ言うような人達が、だんだん多くなったということは、嘆かわしいことじゃないかというて、私は昨日、若先生に話したことでした。
若先生(も?)やっぱり(?)、そういうふうに聞いてきとる。お話というもんなもう、噛んで含めるに十分に、ね。こういう信心したらこういうおかげを受けたじゃなくて、こういう信心もしたというところだけをせにゃ、信心が育たん。おかげのところを話しちゃいかん、おかげ話じゃいかん。ね。
先日ここに、ある有名な方がお話に見えましたよね。もうそれこそ、(一口?)あそこんとこ、あの人はどげんなったじゃろうか、おかげ頂かせたじゃろうかといったような話をなさいましたが、非常に、なるほど、余韻があるような感じですけども、ぜったいそういう人達は「おかげ話をしたらいかん」ち、おかげを頂いとらんです。
だから、信心だけといったようなこと、信心にはおかげがつきものなんです。ね、これは、いうならばご神徳を受けられないタイプですよ。ね。もう、いうならば、故意に、ね、演出して、ね、おかげは頂いとってもおかげんとこ話さんといったような、それがよか話のような考え方は、合楽あたりでは流行らんです。ね。
合楽ではまずないですね。合楽では、そのやはり、こういう信心さして頂いて、こういうおかげを受けたと。ね。なら、例えば、ちょっとこう読ませて頂くとね、なるほど、余韻のある話ですよ、今の、その西日本の、うー、その(地理?)のことを言うたりね。
昨日私が、老人夫婦の( ? )したやったとは言わなかった、というのです。そんで(嫁御は、どうしてじゃろうかと思って、年のもんばふっとる?)わけです。それを例えば、あんな嫁御に、んなら昨日の朝は、俺がちょうど押してやったけん、あのおじいさんとおばあさんが、お礼の気持ちで持って来とんなさるとじゃろう、と言うたっちゃ、(今度は悪か?)(笑)。ね。
(そすれ?)、嫁御さんが明くる朝、早う起きてから、またそれこそ、タオルの一つでもです、「はああ、昨日はあなた方じゃったじゃろう。有り難うございました」っち言うたら、向こうもやってから、「気持ちが、はああ届いた」と思ってから、ね。私は、信心というのは、そういうふう(じゃ?)なかにゃいけんと思うです。ね。
そりゃあ、送ったほうも送られたほうも、なるほど、なんかいかにもね、こう、おー、奥行きがあるようにあった、ね。そういうことでは、いわばお徳の受けられないタイプだと、まず思わにゃきゃいけません。ね。
もういうならば、(ありぎり?)の信心です。ね。そういう、私は、タイプの人(、or。?)今、最後に申しましたのは、そういう、これは、偉い先生方の話もずいぶん聞きました。ね。
先日、( ? )でした。たいへん偉い先生、教監にもなられた先生。ね。戦時中に、えー、戦後間もなくの時に、たいへん気の毒な(目?)に遭われた。( ? )聞けば聞くほど、あわれなお話であった。そこで、お道の話をしてあげた。たいへん喜ばれた。「なるほど、そういう生き方があったのですか。そういう信心があったのですか」と言うて、それから信心をされるようになったということです。
それから、3、4年後に、またその婦人に会いました。もうその時には、その時にあった、ね、時とはまるっきり人相から変わって、晴れ晴れしい( ? )をして、その後の生き方が、ね、私の生き方が物の見方、いうなら考え方が変わりました、と言うて喜ばれた。けれども、身なりは3年前と一つも変わらなかったという話を、そこで終わられました。
なかなか余韻のあるごとあるばってん、なかごとある感じがするね(笑)。ほー、そげな心の状態、金光様のご信心を頂いて、例えば、難儀を難儀と感じんくらいになったら、ぜったいおかげが伴うです。3年後に会うたら身なりもピシャーっとしちゃったと、(私でん?)、そんな話(なかにゃ?)いかんと思う。
こういう人は、信心はどんどん詳しくなっていこうけれども、実際、その人の信心によって人が助かるといったような、どういうよい話がでけても助からんです。ね、それもやはり、お徳を受けられないタイプ。だから、そういう教育を受けた信者が哀れです。おかげ頂かんです。
(まあ?)、心だけは助かったという、ぜったい、ほんと言うたら助かっとらんです。ね。それこそ、原さんのお話じゃないけれども、こういう心に喜びが頂けておるのに、おかげの頂けんはずはないといったような、盛り盛りとした神様を信じて疑わない生活がでけなければならん。でけたらぜったい、思いもかけないとこに、金銭のお繰り合わせというものは現われてこなければいけんのです。ね。お道の信心はそうです。ね。
今日は、それに、繁雄さんのお話と原さんのお話と、私が少年時代に聞かせて頂いて、今に残っておるお話を聞いて頂いて、お徳を受ける前提、もちっと苦労がしてみたいという心が起きてくる。ね。心の中にです、もちっと修行がしてみたいといったような心の中にです、喜びが湧いてくる、おかげの確信がでけてくるようになる。
そして、繁雄さんのお話じゃないけれども、いつも自然がバックだなと、天地の親神様の働きというものは、もうただただ、いつのこと、いつものことながら恐れ入ってしまうということ。
わざわざ、そのほうれん草に白い(ふ?)を入れて、ね、買いに行った時には、ね、買い、仲買いのほうが遠慮して買わんというような(?)状態になっておるということ。けれどもまあ、その直後からきつい寒に入った。ね。そして、その白がなくなったと。
そういうね、自然の働きをいつも身近に感じれるようになります。これは、ご神徳を身に受けていっておる印です。ね。そういうことを今日は聞いて頂いた。そしてそれとは反対に、ご神徳が受けられないタイプの話も、(別に?)聞いて頂いたわけですね。どうぞ。